19世紀最大の宗教識者のひとりトゥンク・ファキナーの流れを汲んだ礼拝堂は今でも活発に活動を続けている。なんと、この偉人は女性! ファタヒラの出身国パサイはその後、サムドラと統合し、この地も領土だったかもしれない。 (本文と直接の関係はありません)
ジャカルタのファタヒラ広場を知っていますか?
そう、有名な観光名所ですよね!
近年はジョコウィ大統領がオープン宣言したファタヒラモスクもできています
では「ファタヒラ」って何のことか分かりますか?
実はファタヒラさんという人の名前
ファタヒラ(Fatahillah)
デマックとチレボン(Demak-Cirebon)の合同軍の統率者。
1527年、スンダクラパ(今のジャカルタ)のポルトガル軍を追い出すことに成功。
この日からスンダクラパはジャヤカルタになったと信じられているんですよ
ファタヒラの謎🤔
定説によるとファタヒラはスマトラ島北部にあったパサイ王国出身。
そしてアラブで学んだ識者。
パサイ王国はその後、隣のサムドラ王国と統合しサムドラパサイ王国となり領土を拡大。
今、私が住んでいるところがその領域にあたります。
- でもこの定説に疑問を投げかける声も多く、それによると・・・
- ファタヒラはアラブ系でインドからやって来た
- ファタヒラはアラブの王子
- ファタヒラはパレスチナのハーシム家の子孫でエジプト高官の息子
- ファタヒラは今のイラクのバグダッドで学び、ジャワ島のデマックへ来る前にトルコの王国でも学んだ、ウズベキスタンの生粋サマルカンド人
随分沢山、異論が唱えられていますね😆😂
ジャヤカルタはファタヒラが命名!?
スンダ・クラパ(Sunda Kelapa)を制したファタヒラがジャヤカルタ(Jayakarta、ジャカルタのもとになった名前)と命名したと一般的には言われています。
でも、それに対する異論も多いです
今は工業団地のあるカラワン(Karawang)にはもっと古くからジャヤケルタ(Jayakerta)という名前の村があってジャカルタの文化を残しているとか
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