鉄道ファン必見、 日本車輌製造の蒸気機関車(インドネシア)

オランダ時代、直ぐ近くに駅があったのだけど今残っているのはこれだけ。なんと日本製。

【蒸鉄道ファン必見、
日本車輌製造の気機関車】
Kereta Uap dari Pabrik Nippon Sharyo

オランダ時代に作られた線路で活躍した
蒸気機関車を見てきました!

柵は低く、かなり危ない場所にずさんとも言える形で展示されているので本来ならば入場禁止ですね。撮影怖かったので真似しないように。

その距離は520km。
線路幅750mm。

1876~1917年、
Atjeh Staats Spoorwegen (ASS)という
会社が運営していたので

思いっきりオランダ時代ですね。

1950年の初め列車の速度は時速20~30km。

低速だったのは戦争中だったから。

時はインドネシアの時代になり1962年
DKA (Djawatan Kereta Api)が
日本車輌から10車両を導入したのですが

この時の車両が展示されているんですよ。

野ざらしです・・

なんと中には石炭を燃やす炉(名前を知らない)がそのまま残る!

当時の時速は35キロだったのだそうです。

農園での需要が減り1976年に廃線。

10両のうち残っているのはこの1両だけという
貴重な蒸気機関車を見てきて

列車ファンでもないので詳しいことは
分かりませんが何とも言えない
感慨深いものがありました!

炉のスペースのすぐ裏のデッキ。後ろには連結用のコンテナ車両(名前を知らない)が並ぶ。

 

連結部分。もっと沢山の写真にご興味のある方は https://goo.gl/maps/ee7ucDtTdG7BpoNr5 を見て下さい(^^)/

オランダ時代、
列車は植民地化に抵抗する人々によって、
ことごとく破壊をされたという話は有名です。

それでも1970年代まで農園の物資を
運んだりするために使われていたんですね。

好ましくない歴史なのでしょう。

なのでこの展示物もそんなに人気がないです。

*高所かつ柵が低い上
ぐらついているので危ないです。

もしここへ行ったら、
外から見るだけにしましょう!

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