観光で外せない伝統的家屋、オランダと戦った女性英雄の家

ここで対オランダ戦争の戦略を練っていた。

【観光で外せない伝統的家屋、オランダと戦った女性英雄の家】🌺
Rumah Tradisional

反オランダ闘争の象徴の家

観光地で外せない「チュット・ニャック・ディンの家」
オランダに屈しなかった唯一の地方。

それがアチェ。

インドネシアの中でも他の地方は
オランダと「同盟」を結び
オランダの軍隊として
兵務についた人々がいたのです。

でもココはそんなことは皆無。

例外は華人で彼らは
オランダに協力した人が多かった。

だから今はインドネシアと
してひとつになっていますが

オランダの軍属の
ジャワとかメダンの兵たちが
オランダ兵たちとここを攻めたのです。

だからひとことで対オランダと言っても
色の白いオランダ兵たちよりも
肌の色が同じ「インドネシア人」たちと
沢山戦っていたという事実があります。

そんな戦いの象徴がここ
チュットニャックディンの家です。

彼女は旦那さんで戦いのリーダーだった
トゥクゥ・ウマルが殉死すると
旦那さんの跡を継ぎリーダーとなったのでした。

案内してもらうのがおススメ

チュット・ニャック・ディンの寝室。部屋は家屋の中心にあり、外部の窓には接していない。他のスペースに比べると狭い。
この家は民俗学的にも、建築的にも
大変興味深い家なのですが

中の展示物を注意して見てみると
これでもかと言うぐらい
「反オランダ闘争」のことが
にじみ出ているものばかりです。

ここの管理の人に説明してもらうと
とても興味深いです
(もちろんインドネシア語で)

入場料はなかったと思うので
案内のお礼に5万ルピアぐらい
差し上げると受け取ってくれます。
(少なすぎると失礼)

ここでは裏切り者として有名な
オランダ人の東洋文化・言語学者
スヌック・フルフローニェの
写真もちゃんと展示してあります。

オランダは2週間で植民地化できると
読んでいたのに何年経っても闘争が
おさまらず疲労困憊(ひろうこんぱい)。

そこで彼の登場です。

スヌック・フルフローニェは
嘘の改宗をしアラビア語を学び
学者として人々の間に入り込み
人々も彼を尊敬していました。

でも実は植民地化が目的の
スパイ兼アドバイザー。

その後嘘がばれてジャワ島へ渡ると
彼はスンダ人の貴族の娘と結婚。

貴族のコネを利用して
そこでの研究にいそしみます。
最終的に本帰国してオランダ人の
奥さんを娶りクリスチャンとして
亡くなっているとか。

彼は熱心な研究者で植民地化に
協力したのかもしれませんね。

オランダが作ったものは徹底的に破壊

台所に入る扉なので勝手口のような機能だったと思われます。今は封鎖されている。
線路の破壊の写真もあります。

ここの人たちは列車によって
兵隊や物資がやってくることを
知っていたので

線路を破壊するという
活動をよくやっていました。

それだけではなく
ここの人たちは男も女も
外出する時は武器を持っていました。

それは短剣です。

あるオランダ人が市場で買い物を
していると売り手の女性が刺す
ということもあったそうです。

普通の市民も一体になって
反植民地化の闘争をしていたんですね。

本当に今でもここの女性は強いと
言われているほどです😊

いつ刺されるか分からない恐怖で
オランダ人たちは毎日
ビクビクしていたそうです。

今でも市内には広大なオランダ人墓地が
残されていますが

派遣されストレスになりながら
攻撃されて亡くなった人も多かったのでしょう。

亡くなったら本国に送られることは
ありませんでした。

オランダ人墓地のほうは今、オランダ人の
恰好の観光地になっていますが

チュットニャックディンの家は
観光地として外さないでくださいね!

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