要塞は手前にひとつあり、右側の遠くに2つ見える。ここで日本軍(現地の義勇兵も)が武器を持ち海から来るオランダ&連合軍がいないかと24時間交代で監視していたのだろう。
【日本軍のトーチカを4個見ました】
Benteng Jepang di Desa Durung Kecamatan Masjid Raya
目次
日本軍初上陸の石碑を見た後
近くの日本軍のトーチカを見に
日本軍が最初に上陸した石碑を見た後
今度は近くにある日本軍のトーチカ
(小規模軍事防御施設)を見に行きました。
トーチカというのはそこに軍人が入って
海から来るオランダと連合軍の敵に向け
窓の穴から大砲や鉄砲を発砲したり
避難壕(ひなんごう)の役目も
果たしていました。
全部で4つ見ました
私が見たのは全部で4つですが
そのうち1つは恐らく映画「海を駆ける」
(ディーンフジオカさん主演)
のロケ地になったところで
そこには1個しか残っていません。
その1個から大分離れて別の3個があり
3個全部が1か所から見えます。
3個は等間隔かと思われる間隔で
海岸線に残っています。
トーチカは鉄筋コンクリート製
(中の鉄筋を見たわけではないけど)
壁厚は50~100cmぐらい😎
2004年の大地震と大津波にも耐え
手入れはまったくされていないものの
強固な作りであることが伺われます。
1940年代に日本はこんな頑丈な
建造物をインドネシアに作って
(労務者に作らせて)
残して去っていたんですね。
これは戦後のゴミなのか
文化遺産なのか
とにかく、そのまま放置です😆
インドネシアじゅうに
日本は要塞を作った?
アチェ州の中でも日本軍の
要塞があるのは実は
ここだけでありません。
一番有名なのは
サバン(ウェー島)にあります。
リゾート地で有名なサバンなので
観光局が乗り出して整備しました。
そこのトーチカの上に座った
ディーンフジオカさんが載った
「海を駆ける」のポスターは
印象的でした。
州内の他県でもいくつか情報が
あるので今も残っているものは
沢山あるのではないかと思われます。
大津波で水没したトーチカ
これらのトーチカは日本が海岸線に
作りましたが
海の中に作ったのではないです。
しかし2004年の大津波で
海岸線が陸側に移動。
恐らく数十メートルは移動してます。
だから今では満ち潮になると
建物の半分ぐらいが
海水に浸ります。
私が行った時はちょうど引き潮で
要塞の中まで見ることが
できたんですよ!
入り口からこわごわ入ってみると・・
要塞の天井からは残った海水が
時々したたり落ちてきます😂
そして
中にあったものは一体何だと思いますか?
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続きは次回に書きますね。
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