1942年3月12日、日本軍が初めて現インドネシアのアチェに上陸した地

木に登って遊ぶ子供たち。撮影していたら、一人の子が木から降りてきて、石碑の文字を「なんだろう?」という感じで見ていた。

【1942年3月12日、日本軍が初めて上陸した地】
Tugu Pendaratan Pertama Jepang🇯🇵

マレーシアのペナンを知っていますか?

大アチェ県政府文化観光局
Pemerintah Kabupaten Aceh Besar
Dinas Kebudayaan dan Pariwisata
アチェで日本が初めて上陸の碑
-TUGU-
Pendaratan Pertama Jepang di Aceh
マスジドラヤ郡ドゥルン村
Desa:Durung
Kecamatan:Mesjid Raya
マスジドラヤ(大モスク)郡という名前なので、どこかに大モスクがあったのだろう。宗教指導者たちが中心になって日本軍を迎え入れたのかもしれない。結果、騙されたわけなのだけど。

日本軍はここ(アチェ)に来る前
「オランダを追い出す」
という協定をペナンの地で締結。

アチェ地方の要人たちによって
アチェに迎えられたのでした。
(インドネシアはまだない)

ここには「日本が最初に上陸した」
ことの記念碑が建っています。

もちろん石碑なんかお構いなし。木になにか実でもなっているのかな?

大東亜戦争の時でした🌄

でもふたを開けてみれば
日本はオランダと
変わらないことをしたのでした。

変わらないばかりかもっと残酷だった
という話を聞くこともあります😥

強制労働システムによって働いた人たち
のことは労務者(romusha)と呼ばれ、
そのままインドネシア語になりました。

今でも知らない人はない言葉です。

インドネシア語大辞典にromushaは
掲載されています。

少なくとも約3年半は日本軍が
ここに居続けました。

「豚を追い出したら今度は犬がやって来た」
という言葉が定着しました。

豚とはオランダのことで犬は日本のこと😥

大通りに面した盛り上がった土地に石碑はある。目立たな過ぎて、通り過ぎてしまう。有刺鉄線に囲まれ入口もどこだか分からない。左側に階段があるのだけど電線が垂れ下がっていて恐ろしすぎて誰も通っていない状態だった。どこかに通報すべき?

このような歴史は普通だったら
思い出したくもないですよね。

日本上陸の地には石碑が建っていますが
ひょっとしたら最初は日本は歓迎されたので

「輝かしい記念の地」
としてここに印をつけたのかもしれませんね。

今は訪れる人もなく
注意を向ける人もないこの石碑。

私たちの先祖が初めて上陸した土地を見て
複雑な気持ちになりました。

軍人たちの多くも好き好んでここに
やって来たわけではないでしょうね。

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