要塞は手前にひとつあり、右側の遠くに2つ見える。ここで日本軍(現地の義勇兵も)が武器を持ち海から来るオランダ&連合軍がいないかと24時間交代で監視していたのだろう。
【日本軍のトーチカを4個見ました】
Benteng Jepang di Desa Durung Kecamatan Masjid Raya
目次
日本軍初上陸の石碑を見た後
近くの日本軍のトーチカを見に
![](https://bhs-indonesia.com/wp/wp-content/uploads/2022/09/IMG20220828162611-2-300x225.jpg)
日本軍が最初に上陸した石碑を見た後
今度は近くにある日本軍のトーチカ
(小規模軍事防御施設)を見に行きました。
トーチカというのはそこに軍人が入って
海から来るオランダと連合軍の敵に向け
窓の穴から大砲や鉄砲を発砲したり
避難壕(ひなんごう)の役目も
果たしていました。
全部で4つ見ました
![](https://bhs-indonesia.com/wp/wp-content/uploads/2022/09/IMG20220828180208-2-300x225.jpg)
私が見たのは全部で4つですが
そのうち1つは恐らく映画「海を駆ける」
(ディーンフジオカさん主演)
のロケ地になったところで
そこには1個しか残っていません。
その1個から大分離れて別の3個があり
3個全部が1か所から見えます。
3個は等間隔かと思われる間隔で
海岸線に残っています。
トーチカは鉄筋コンクリート製
(中の鉄筋を見たわけではないけど)
壁厚は50~100cmぐらい😎
2004年の大地震と大津波にも耐え
手入れはまったくされていないものの
強固な作りであることが伺われます。
1940年代に日本はこんな頑丈な
建造物をインドネシアに作って
(労務者に作らせて)
残して去っていたんですね。
これは戦後のゴミなのか
文化遺産なのか
とにかく、そのまま放置です😆
インドネシアじゅうに
日本は要塞を作った?
![](https://bhs-indonesia.com/wp/wp-content/uploads/2022/09/IMG20220828175709-2.jpg)
アチェ州の中でも日本軍の
要塞があるのは実は
ここだけでありません。
一番有名なのは
サバン(ウェー島)にあります。
リゾート地で有名なサバンなので
観光局が乗り出して整備しました。
そこのトーチカの上に座った
ディーンフジオカさんが載った
「海を駆ける」のポスターは
印象的でした。
州内の他県でもいくつか情報が
あるので今も残っているものは
沢山あるのではないかと思われます。
大津波で水没したトーチカ
これらのトーチカは日本が海岸線に
作りましたが
海の中に作ったのではないです。
しかし2004年の大津波で
海岸線が陸側に移動。
恐らく数十メートルは移動してます。
だから今では満ち潮になると
建物の半分ぐらいが
海水に浸ります。
私が行った時はちょうど引き潮で
要塞の中まで見ることが
できたんですよ!
入り口からこわごわ入ってみると・・
要塞の天井からは残った海水が
時々したたり落ちてきます😂
そして
中にあったものは一体何だと思いますか?
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続きは次回に書きますね。
インドネシア語を学べば
日本のことをインドネシア目線で
見ることができる
![](https://bhs-indonesia.com/wp/wp-content/uploads/2022/09/22-08-30-13-07-10-987_deco-300x225.jpg)
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